てってけの「100回の愛ちゃん」記念日計画

tetteke2005-03-09

8-23の勤務も3日目に突入しました。ツアー中なので元気です。現場の無い2月は干からびた魚のように生きていましたからね。ツアーが始まるとやっぱり気合が違うね。この休日出勤がチケットを1枚生んで愛ちゃんに会える。この残業でもう数列前に行けて、愛ちゃんにもう一歩近づけると思うとやっぱね。気合が違うといっても、そこはそれ働く時間が長くなるだけで、別にもらう給料分以上の仕事はしません。


さてさて、そんな僕ですが今日も朝から忙しかったですよぉ〜。まず、名古屋の20日の夜チケを確保、そして返す刀で21日の昼をげっとー。てってけは名古屋は3公演でいいや。名古屋軽視で。だって、なっちとごっちんが入ってきて公演時間同じなら、カットおよび変更されそうなのは、ユニットメドレー部分ですよね。ということで、もう20日の2900円バスの予約までしてしまいました。21日の最終ののたん号も抑えたし、次週の仙台行きの2900円バスも、これはALMICきむけんに手配してもらったと。仙台コンの後は実家に帰るから、そのまま「はやて」で八戸まで行って車で迎えに来てもらうか、1泊して仙台を久しぶりに楽しんでから移動するか悩むところです。んで帰りは、三沢から羽田へ飛ぶという作戦が、兵器マニア心をくすぐります。三沢は米軍と民間が同じ滑走路を使っているので、よくC-130輸送機とかに離陸待ちをさせられたりします。もちろん上空にはF-16とかが飛んでます。


さて、仙台までの前半戦はほぼ準備完了かな。となると今度は後半も考えないとだな。後半戦でチケット無いのは、大阪と前橋の昼、八王子と武道館の6日か。その時の金銭事情とチケ相場にもよるけど、大阪2、八王子1は行っておきたいところです。前橋は相場次第。6日の武道館はどうにでもなるだろ、たぶん。



ちょっと思うところあって、今までの現場数を数えてみました。

ハロー総参戦数 137
モーニング娘。参戦数 88 + さくら5・おとめ3
松浦亜弥14
後藤真希
なっち5
メロン7
W&ベリー2
ベリーイベ1
カン紺藤イベ1
六期イベ1
花火大会1
タンポポ&松浦、TBSラジオ公録


3/8日現在 (ハロコンなど娘。目当てのものは娘。に数えちゃってます。)

思ったよりも全然少ないな。年代別に並べると

2001年:7
2002年:16
2003年:32
2004年:72
2005年:10(3/9現在)

年々、倍増以上の伸びを見せているな・・・。今年が恐ろしい・・。


で、この中で僕が高橋愛ちゃんに会いに行った回数は、
88−愛ちゃんが娘。に入る前にいった娘コン6+さくら5=87回か。
構想のとおりに行くと、僕の「100回の愛ちゃん」は、新潟か長野のあたりで達成されそうです。
でも、これでも愛ちゃんが立ったステージの半分にも満たないんだよね。


『人は足ることを知らずして苦しむ。既に隴(ろう)を得てまた蜀を望むなり。ひとたび兵を発するごとに、頭髪ために白し。』(光武帝 劉秀)
天下統一を目前にした劉秀が二十八将の一人岑彭(しんぽう)に宛てた親書の一節です。岑彭(しんぽう)といえば、常勝不敗、軍規は厳正でいささかも民衆に危害を加えることの無かった将軍です。隴(ろう、いわゆる漢中)を平定して一年、岑彭(しんぽう)は長江中流から上流の蜀へ攻め込もうしたわけですが、当時の蜀を治める公孫述は三峡より下流に大要塞を築きました。さしもの岑彭(しんぽう)も一時退却を考えますが、そこに上記の親書が届き、岑彭(しんぽう)は全面攻撃を決意します。強い東風が吹き荒れる日、漢軍の軍船数千隻が帆に風を受け長江をさかのぼります。水中の杭が軍船を妨げ、左右両岸からは矢の雨が降りそそぐ。一進一退の攻防が続くが、漢軍先鋒はついに浮橋に火矢を撃ち込みます。火は強風にあおられてみるみる燃え広がり、要塞は火に包まれます。その猛火の中を岑彭(しんぽう)が突進します。その様を「後漢書」は歴史上はじめてこう表現します、「所向無前」(向かうところ敵無し)。


で、何かというと、「人は足ることを知らずして苦しむ」を書こうとして、またずらずらと。でも、岑彭(しんぽう)の話は心を奮い立たせるのでよしとしとこ。