「哀は愛よりいでて愛よりも愛し」を読んで

http://d.hatena.ne.jp/tenvapas/20041203
あれ、そうなんですか?
私が見に行くところでは

"「間違ったことをしました」。「ダメって叱りました」。「罪を受け、報いを受けました」。「許してあげようね」 "

って大筋で書いてるページがほとんどだけどなぁ。
「許してあげようね」ってところが「応援しよう」とか「待とう」とか微妙に違いはありますが。
心情的には庇いたいという気持ちもよくわかるし、
行われたことが社会的にまずいことだという倫理もよくわかる。
その心の葛藤の折り合いをどの辺りでつけるかの問題ではあるかとは思いますけど、
その葛藤からこぼれ落ちてきた言葉である限りは、だいたいどっちに偏ってても納得出来ます。


それとこれは僕の勝手な解釈かもしれませんが、別問題を一緒くたにして免罪してるってのも
果たして自分でそれを信じているんでしょうか?信じたいだけなのではないでしょうか?
他人を信じさせることで、自分自身を納得させようという・・、むしろ自分に対しての言い訳。
そういう意味では、上であげた葛藤してる人の最も偏った形と言えるので同意はしませんが
理解は出来るのですけどね、その心情を。


あとは、なっちが社会的責任から謹慎中であると捉えれば、「許してあげよう」「(社会から)
許してもらえるように働きかけよう」「理不尽な非難からは守ってあげよう」という心理になるし、
謹慎中ではあるけれど、(その罪の意識から)精神的にもまいってるだろうと捉えれば
「信じて待とう」「励まそう」「応援しよう」という気持ちになるのじゃないですか。
だから僕はみんなの思っていることが、そう離れているとは思いません。
ある事実に対する真実は一つである必要はないのではないでしょうか。


テキサイやってる人なんて、ある程度自律した意見を持っているだろうから
互いにそれを出し合って影響しあって、それで影響の及ばなかった部分は仕方がないんじゃないかなぁ。
出来ることをしなかったわけではないのだから。


蛇足ですが、たんばばさんの話の信仰とは別の定義ですけど、
アイドルが一種の信仰である部分はあるとおもいます。
ただ、ギリシャ神話みたいに間違いもおかす人間くさい神様なところが違いでもあり、
面白みでもあると思いますけど。
「人の魅力は欠点*1にあり」これも私の信条

*1:笑えるレベルの欠点であることが重要だけど