印象派、ルノアールのように

tetteke2005-07-06

今日の更新は昨日の更新の続きになるぞぅ。実は、こんこんほりっくさんのところを読んで、閃いたことがある。歌でも映画でも演劇でもなんでもそうだけど、何かの情報・メッセージを受け取った時、自分に必要な情報を無意識に取捨選択して、足りないものは自身の経験からプラスして解釈する、普通はそうだろう。僕なんぞは、意図的にむりやり自分の書きたいことまで盛り込んで語ってしまうわけで、説教くさくなるんだけど、愛ちゃんの言葉って言葉足らずだから、だけど言葉足らずだからこそ、他人のそういう思惑を受け入れることの出来る容量がたくさんあるんだなと思った。


それはコミュニケーション能力不足と言われることもあるけど、短所と長所は表裏一体、人の魅力は笑えるレベルの欠点にあるが持論の僕としては、そこにもおかしみを感じ、愛してやまないわけなんですけどね。


これにまつわる某所でコメントをいれた高橋推しの方々へお詫びしときます。ここも見てくれてるかな・・と期待して。心情的には僕も皆さんと同じなんですけど、あぁいうのは身内に言われたほうがマシかなと思いまして、出すぎたことをしたかもしれません。では、どーせ出すぎたのなら、出過ぎついでにw


高橋愛のことは、本当は高橋愛にしかわからなくて*1、みんな自分という鏡に映った高橋愛を語っています。それは当然ちょっとずつみんな違います。それを一枚の絵に例える*2と、はじめは自分の絵と同じ色に気がつきます。この赤は僕と一緒だ。この青も僕と一緒だ、と。そしてどんどん好きになります。すべての同じ色を見つけ終わると、今度は違う色に気が付き始めます。この黒は僕にはない。この黄色も僕にはない、と。しかし、同じ絵は一枚もないんです。違って当たり前なんです。それさえ忘れなければ、いろんな局面でうまくやっていけると思います。自戒の念も込めまして。

*1:愛ちゃんにも分からないかもしれないけどな。自分で自分を分かってる人は実はいないのかもしれないぞ。みんな、自分が誰か分からせてくれる人を探してるのかもしれない

*2:なんで絵なんだ?それはタイトルをつけやすかったからw