涙が止まらない放課後

とりあえず、紺野さんが必死だった。
横浜で初めて聞いて以来の2度目の「涙が止まらない放課後」でした。
巷で出回っている音源は聞きませんでした。市販されるDVDだって直接見るライブの
50分の1くらいしか魅力を伝えないのに、いわんや(ry
少なくとも、幸福にも直で聴ける私が聴く必要はないやということで聞いてませんでした。
そのぶん高松でのこの歌は2回とも(てってけは日曜の昼・夜2回参戦)、真剣に聴いたよ。
確かにこの曲はメロディもとくに引っ掛かるようなところもなく、歌詞もよく聞き取れません。
ただ、紺野さんの必死さだけが僕のところへ届きました。
この曲は紺野さんとさゆ、石川さん、ミキティの4人以外は歌っていませんが、
他の8人のファンの方、4人のユニットでやれよ的な発言はどーか勘弁して欲しい。
こういった発言は、紺野さんやさゆのファンはしにくいだろうから、高橋愛のヲタである
私が敢えて発言。紺野あさ美にもユニットではなくモーニング娘。を背負わせてほしい。
紺野さんはその意味を十分に理解してあの位置についたと思う。少なくともその気持ちは
私まで届いた。この経験は紺野さんの財産となるだろうし、モーニング娘。として
この布石は絶対に生きてくると信じています。将来のモーニング娘。を支える5.6期の柱は
高橋・藤本だけでは足りないのです。これが高松でこの歌を聞いた私が感じたことです。
そして、そんな必死な紺野あさ美さんと紺野さんを支える紺野ヲタの皆さんに、
盟友高橋愛ちゃんのヲタとして、おめでとう!という言葉とエールを贈りたいと思いました。
さゆは、紺野さんとはまた別の意味で起用されていると思いますが、それはまた別の機会で。


必死とは?
ちょっと脱線&補足しますが、私が良く見に行く演劇集団「キャラメルボックス」の作品の中に
「俺たちは志士じゃない!」という作品があります。その中で、死に急ぐような無謀な行動を
取ろうとする岩国藩藩士に対して桂小五郎が言う台詞があります。
「今、死ぬ気と言ったな?それがいったいどういう意味か、本当に分かっているのか?」
岩国藩士と剣を交え、桂の切っ先は相手の喉元でピタリと止まります。
「死ぬ気とは、ドブ底に這いつくばってでも生きぬき前へ進もうとする決意のことだ。
また、その決意あるものだけを志士と呼ぶのだ!」
その岩国藩士は後に、藩を動かすために若い藩士による組を作るのですが、その組の名前を
桂小五郎の教えから「必死組」と名づけます。(フィクションだよ)
また、この作品、クライマックスで桂小五郎(偽者と言ってたが実は本物)と主役の
坂本竜馬の偽者(人違いで新撰組に追われている。そのまま成行きで岩国藩邸で贅沢三昧)と
中岡慎太郎の偽者(同上)が新撰組に取り囲まれるシーンがあるのですが、
土方「桂、往生際が悪いぞ。貴様も武士なら死に際を心得よ」
桂「あいにくだが俺たちは武士じゃない。志士だ!」
岩国藩士「坂本先生、先生の志で日本を救ってください」
坂本(偽)「日本を俺に任せるな!」
ってなやりとりがあって、ちょっとカッコイイんですけどね。って、後半はほんとに蛇足だ。