おめでとうって

そういえば、モーニング娘。の卒業で「おめでとう」という言葉を僕が使ったのはかおりんが初めてです。たぶん、そういう人って多いと思います。巡回先を回ってみて感じたことでもありますけど。私も今までは娘。を卒業する子に「おめでとう」と言うことには抵抗があって、ずっと「ありがとう」という言葉を贈ってきました。それが今回、あまり抵抗なく「おめでとう」という言葉が言えたのは様々に要因があるんだけど、なっちやWの卒業が大きいのかな。なっちの卒業のときは、正直、卒業してほしくはなった。ヲタとは勝手なもので永遠に変わらずにいるということが不可能であることを知っていながら、いや、知っているからこそ永遠に変わらずにいることを求める。*1しかし、なっちの「どーして、おめでとうって言ってくれないの?」という想いを知って複雑な気持ちになりました。ファンはいつまでもモーニング娘。のなっちを見ていたいけどいつまでもモーニング娘。ではいられない、モーニング娘。モーニング娘。であるためにモーニング娘。でやるべきことをやり終えた娘。は、後進に道を譲るべく、そして自らはモーニング娘。では出来なかったことに挑戦し、新しい夢に向かって旅立つ。・・・頭では理解しつつも、気持ちはついていけない。そんなギリギリの葛藤のなかで零れ落ちてきた言葉が「ありがとう」でした。


「ありがとう」は感謝の言葉。むかし、有難き幸せといっていたのが、短くなったものらしい。通常ではありあえないほどの幸せって何だろう?使い切れないほどの富を持つことか?社会的に成功して名声を得ることか?僕はそうは思わない。ただ、その娘。がモーニング娘。として笑顔でいる。そんな些細なことが人によっては"有難き幸せ"となる。そんな偶然のからくりと運命の必然により、モーニング娘。でいてくれた彼女に、僕は「ありがとう」と言えた。そして月日はめぐり、辻希美加護亜依の卒業を迎える。この二人の卒業、そして卒業後の躍進。それはモーニング娘。の卒業というものを明るく希望的なものへと変えてくれた。またハロー内のパワーバランス的にも、モーニング娘。はハローの圧倒的な中心的存在というよりも強力な一ユニットというポジションに変化してきたように思える。もちろん卒業生も含めて心のよりどころとしての中心であることに変わりはないけど・・・。モーニング娘。は卒業してもモーニング娘。の仲間であることに変わりはない。先輩たちは後輩が悩んでいたら、いつでも相談にのってくれるだろうし、先輩が困難に直面したら後輩はエールを送るだろう。で、あるならば、何を恐れることがあるだろう。飯田圭織は、モーニング娘。における役割をすべてやり終えた。娘。魂は彼女の愛すべき後輩達にしっかり根付いた。根がしっかりしていればどこでだって葉を広げ、花を咲かせることが出来るだろう。後は頼もしい後輩達に任せて飯田圭織は、自分の道を自分のために歩くときが来たのだと思う。かおりん、ありがとう、そして、おめでとう。

はてなかしまし物語::飯田圭織さんモーニング娘。卒業

*1:ほら、なっちだとそれに応えれそうな気がするし。