第7回 五胡十六国時代

前回で南は東晋、北は五胡十六国時代に入ったところまで行きました。南のほうは一応の安定を見せるんですけど、北のほうはもう乱世です。ちょっと優秀な武将が出るとすぐに独立して王になる。そしてすぐに倒されると言うことが続いて、ひどい状態になります。ですが、ここに符堅(ふけん)と言う人が出てきて、ほぼ北側を統一します。それには、王猛という宰相が軍事的政治的にあらゆる方面で活躍してくれたんですね。


で、符堅と言う人は全中国を統一することを理想としていたんです。理想主義というか、自分が統一しなければならないんだという使命に燃えていたわけです。王猛は「理想と現実は違うんだから、無理に東晋を征服しようと思ってはいけません」と遺言して亡くなるんですけど、理想を実現したくてしょうがない符堅は遺言を無視して、100万と言う大軍を動員して長江を渡ろうとします。


一方の東晋は、当時は謝安というひとが宰相をしてたんですけど、この人が甥の謝玄に軍事を託すんです。っていうか、「お前行って戦って来い」と言うんです。兵力は6万。「これでどうやって100万と戦えというのか」と文句を叔父さんにいうんですけど、とにかく逃げずに決死の覚悟で立ち向かうことになるわけです。100万対6万なんで、普通に100万のほうが勝つはずだったんですが、そうはならなかったんですね。これをひすいの合戦といいます。漢字は三ずいに肥と水ですね。


符堅はわざと一度負けて後退して、追ってきた謝玄の軍を包囲殲滅しようと考えたんです。この辺も理想主義なんですね、華麗な勝ち方をしようとしました。普通に100万の軍で平押しに押せば勝つと思うんですけど。芸はないですけどね。で、符堅はいったんわざと負けて見せて一時退却します。そこに東晋6万の軍が決死で飛び込んできます。すると妙なことが起こりました。100万の軍のあちこちから、「負け戦だ」という声があがって、すっかり浮き足立ってしまうんですね。これはどういうことかというと、もともと東晋将兵で負けて符堅にしたがっている人間もいたんですね。で、その人たちは心から符堅にしたがっているわけではなくて、いつか機会があったら東晋に帰順しようと考えていたわけで、いまだとばかりに軍を混乱に陥れるんです。とは言え、100万の軍がいきなり瓦解してしまうのも、不思議なところで、実は中華を統一しようと思っていたのは符堅だけで、まわりはそんなに熱をもっていなかった、また軍の統制もとれていなかったんだと言われています。烏合の衆ってやつですね。


一方、東晋の軍はここで負けてしまうと東晋が滅んでしまうわけですから必死なわけです。敵が混乱したのを見て、一気に中核をつきます。それで100万の軍があっという間に四散してしまうんですね。100万の軍が逃げる、それを6万の軍が追うという珍しい光景になるんですが、そのうち100万の軍も散り散りになってしまって、符堅の周りには千人くらいまで減ってしまって、風の音にも敵兵じゃないかと怯えるようなありさまで北へ逃げていきます。


こうして謝玄は凱旋するわけですが、決して運が良かっただけではなく、100万の軍を前にして逃亡兵を出さず、陣容も崩さず戦ったことは、彼の統率力が極めて優れていることの証拠です。ちょうどこの時、おじの謝安は友達と碁を打ってまして、そこへ急使がやってきて「勝ちました。勝ちました。」というわけです。友達が「何事ですか?」とたずねると、にやっと笑って「なに、小僧どもが敵をちょっとやっつけたようです。」と言ったそうです。その後、友達が帰った後に、「やった!」と飛び上がって下駄の歯が折れてひっくり返ったというのが有名なエピソードとして残っています。