てってけの「偽善のススメ」

tetteke2005-04-06

最近、偽善者キャラというイメージを界隈で植えつけられているてってけです。おはこんばんちは。ちなみに僕は、偽善でも善は善という人なので無問題です。つーか、自分で定義する偽善の意味においては、むしろわが意を得たりの評価だったりもします。っていうのはですね、僕は荀子性悪説を信じてる人でして、性悪説ってのは孟子性善説と対になって扱われるんですけど、まぁ、簡単に書くとこんな感じです。

孟子は人間の生まれ持った本来の性質は善であるが、後天的な影響によって不善となり得るといい、
荀子は人間の生まれ持った本来の性質は悪であるが、後天的な教育によって善になり得るといった。

さらに荀子の言葉を借りますと

荀子に曰く
「人間の天性は悪であり、善は人為的なものである。考えてみると、人の天性には生まれながらにして利を求める性質があるが、これに従ってしまえば他人と争い奪い合うことになって譲り合いは失われる。また、他人を嫉み憎む心があるがこれに従ってしまえば他人を損なうことになって真心は失われる。同じように耳に快いもの目に美しいものを求める感覚的な欲望があるが、これに従ってしまえば秩序はでたらめに乱れて物事の筋目が失われる。」


「人間には生まれながらにして欲望がある。欲望が満たされなければ追求しないわけにはいかない。欲望を追求する際に分別や際限がなければ争わないわけにはいかない。こうして争えば社会の秩序は乱れるし、乱れれば行き詰まるのだ」

要するに、人間にはもともと欲深く、自己中心的で、嫉妬深い生き物だということです。ですが、だからそれでいいと性悪説は説いているわけではなくて、であるからこそ、後天的な修行とか学問とか、日本的に言うなら道を求めること、自分を律することで誰もが聖人にもなれるという考え方です。じゃあ、人間はもともと善人で、堕落して不善になるという孟子じゃいけないのか?というと僕は好きじゃありません。孟子がそうだというわけでないけれど、儒教のこの教えって、堕落につながるので贅沢は控えるとか、質素とか慎むとかそういう方向へ思想が行きがちなんですよね。そうじゃなくて、もう人間はそもそもしたいことはしたい、やりたくないことはやりたくない、楽して多くを望みたいという我侭な生物なんです。だからこそ、自らを律したり、創意工夫をしたりして前進するものだと思うんですよね。


人間、誰にでも弱い部分も汚い部分もあります。しかし、あまりそういうところって他人は見せたくはないですよね。他人から自分がこう思われたいと思う人物像を人前で演じきれるのが大人だと、僕は思います。そういう意味では、やっぱり偽善の言葉通り、偽物なんだと思います。しかし、偽物でも本物になりたいと願い努力していれば、いつかなれるかもしれない、本物以上の偽物に。


なんか、昨今のハロー系の現場における悲しい出来事や憤りを感じる出来事を見る聞くにつけ、「自立、自律、自制、自省」ってあたりを持たない人たちが少なからずいるんだなぁとちょっと欝になります。誰もが必要なことは知っていても、なかなか完璧にはできないことでもあるんだけど、人として、自分がされていやなことはなるべく他人にはしたくないですよね、自分がされてうれしいことは、好きな人にはしてあげたいと思うし、そうやって向上をめざしてこその人間じゃないのかな。そうでなければ本能のままに生きる獣と変わらない。人間は本来、獣とさほど変わらない存在で、自らを律し成長を目指す、その過程こそ人間なんじゃないかな。性悪説をてってけはそのように考えます。そして、努力し成長しつづけるモーニング娘。に励まされつつ、自分でも日々頑張りたいとそう願ってます。