てってけ流「虚実と偽善」

友坊主さん 経由で、ちぃさんのをかしの缶詰を読みました。


tombouzeの日記のコメント欄よりちぃさんのコメントを引用

「美化する」について具体的に書いてみます。
例えばハロモニ。を観ているとします。
愛さん(私でいえば亜弥さん)が出ているシーンがあったとします。
自分がしてあげなければならないのは彼女の活躍を素直に楽しんであげる事だと思うのです。
でも、映像に彼女の輝きを無意識のうちに探しています。
振り返った仕草が可愛かった、表情がよかった、自分なりの解説をつけようとしています。
日記として残そうという意識が働くからです。
輝きは探すものじゃない、感じるものです。
そう思った時、輝きだと思っていたものが実は自分の作り出した紛い物だった事に気づきました、何も書けなくなりました。
だからといって日記を締めてしまう気にはなりません。
それをしてしまったら本物の輝きに出逢った時も書けなくなってしまうからです。


なるほどなぁ。考えないこともない問題です。ですが、僕の場合は開き直っている部分があります。僕がサイトで高橋愛について書くのは、彼女により魅力的な虚像をつけることで、これはちぃさんのいう「美化する」と同じようなことだと思います。で、虚っていうのは物語の忌み名でもあり、虚は時として実を越えて僕に真実を教えてくれることもあり、僕はそれでいいと思っています。虚といっても、僕はそれを信じてるんですけどね。


しかし、虚っていうのは一般的には「紛い物」ですよね。自分が輝きだと思っていたものが本物ではない、自分の書いたものは紛い物ではないかという認識は辛く寂しいことです。しかし、本物ではないからこそ人はいつか本物の輝きを表現したいと思います。そうやって願い、努力し続けていけばいつか書けるかもしれない、本物以上の紛い物を。これは、僕はこのサイトをやっていく上での信念です。僕は自分で言葉をあまり生み出していません。使っている言葉は、自分がどこかで出会った言葉たちです。それを自分流にアレンジして、まったく別の事柄を表現してはいますが、僕が生み出したものではありません。


「人の善なるは偽なり」僕の好きな言葉です。偽とは普通はニセモノを意味し、あまり良い意味の言葉ではありません。しかし、作り物という意味もあります。人の作り出したもの、つまり人為です。先天的に備わっているものよりも、後天的な努力によって手に入れたもののほうが価値がある、僕はこの言葉をそう解釈しています。ですから、僕は今出来ないこと(出来なかったことを)なるべく悔やまないようにしています。少なくとも出来ることをやらなかったわけではないのだから。書いたものなかに、時に紛い物が混じったとしても、それはそれで仕方のないことなのではないでしょうか。


何を書けばいいのかわからなくなってしまったときは、何を書きたかったのかを思い出せばいいと思います。ちぃさんは、ご自分のプロフィールに"ここは管理人が日々の暮らしのなかで、をかし(い〜じゃん)と思った事柄を日々重ねていく目的で立ち上げられたサイトです。"と書いています。時には立ち止まったり振り返らないと、見えない明日もあるのだと思います。


と、偉そうに書いてみましたが、ちぃさんの更新を見て改めて自分のスタンスを確認してみたくなりました。ま〜た、偽善を語ってしまったwそうそう、今となっては昔の話ですが、ハロプロラジオドラマのプロット募集に、実はひそかにこれをテーマにして送ってたよ。「人間よりも人間らしく生きているロボットと女の子の物語」不採用だったけどなwもともと賞金に目がくらんだ参加することに意義があるってことで、今回は書き上げて応募するが目標だったので、また次があったら頑張るさー。


14:22 追記
おやー、すでに立ち直ってるようだ。→2005-06-16