時間神に逆らって

土曜日は、つばめ♂さんと一緒に演劇集団キャラメルボックスの「クロノス」という舞台を見てきました。ストーリーをかいつまんで書くと、主人公の男性:和彦は社命で物質を過去へ飛ばす装置「クロノスジョウンター」を開発していました。これが実験段階まで進んでいまして、過去に飛ばすことは出来るんですけど、時間流を遡った反動か何かで、1分前に飛ばしたものが2分後に戻されてくると言ったような状況で、実用化の目処がたたないというしろものです。物語中で、和彦は中学のころから高校3年まで、憧れていた女性に10年ぶりに再会するのですが、この女性がある事故に巻き込まれて死んでしまいます。和彦は彼女を助けるため、自らを過去へと飛ばすのですが、歴史を変えないようにする防御機能なのか、邪魔が入りうまくいきません。


「クロノス」は不完全な機械で、1度行った時間より過去へは遡ることが出来ません。現地には10分程度しかいることも出来ません。また、回数を重ねるごとに、反動は大きくなり、より未来へ飛ばされることがわかりました。最初、和彦は2日後に帰ってきました。2度目に飛んだときは7ヵ月後に戻ってきました。3回目では2年後に。ここまでは、見ている側も普通に感情移入してみることが出来ます。問題は次からです、4回目過去に飛ぼうとする和彦。次に和彦が飛ばされて戻ってくるのは、56年後です。たとえ彼女助けても、和彦が彼女と過ごす時間はありません。それでも助けに行くのか?なぜ助けに行くのか?答えは

会いたいから

彼女にもう一度会って、想いをつげたいから・・。もう、ヲタ心を鷲づかみですよ。究極のところ、僕が娘。のコンサートに行くのもそういうことなんですよね。愛ちゃんを応援する、愛ちゃんのためになんてのは全部偽善で、会いたいから、もうこれに勝る理由はないんですよ。愛ちゃんは、パシイベで「好きなことに理由なんてない」と言いましたが、それは確かにその通りでもあるんですけど、好きなことに理由がないわけではない。自分の好きなものを統計的に見れば、ある種の好みがあったり後付でここがこうだから好きなんだと、他人もしくは自分を納得させる理由が必ずある。しかし、好きになるときに、こうだから好きになるとか、ここが自分の好みに合うから好きになると思って好きになったりはしない。好きになったものが自分の好みなのである。だからこちらの意味においては「好きなことに理由なんてない(理由なんていらない)」と言うことになる。「会いたい」についても同様ではないだろうか。好きだから会いたい、好きなことに理由を必要としないのなら、会いたいことにも理由を必要としない。それが、それでも助けに行くのか、なぜ助けに行くのかの答えだ。


こっから先、オチまで書いてます。



物語は、4回目の挑戦も失敗する。和彦は2063年の未来へ飛ばされる、そこでは会社はすでに倒産し、開発の責任者だった人も亡くなっていた。クロノスジョウンターの製品化もされなかった。しかし、クロノスジョウンターは、とある博物館に収容され残っていた。博物館を建てたのは、彼女の弟と和彦の妹、二人は結婚していた。2063年の博物館の館長はその二人の娘だった。館長が子供のころから聞かされていた、クロノスジョウンターの伝説、「いつかここに吹原和彦という男が、クロノスジョウンターを使いにやってくる、その時のためにクロノスジョウンターを使える状態にしておいてくれ。」そして、その男はついにやってきた。もう一度彼女に会うために。年老いて病院にいる和彦の妹にあってはどうかと勧める館長に、自分が来た記念にと、彼女の事故で半分溶けた銀のブローチを預けて、和彦は2007年へと飛ぶ。気がつくと半分溶けていたブローチは完全な形になっていた・・。終幕