第4回 三国志 魏

うわ、たんばぱさんから軽くプレッシャーを掛けられています。こんな適当★に本(主に田中芳樹著:中国武将列伝、帝王紀のほうもあった記憶があるんだけど、見当たらない。)から、いろいろツマミ食いをしてつなげただけの大学生のやっつけレポートみたいな企画なので、歴史を知ってる人に見せるにはかなり恥ずかしいんですけど、えと、愛ちゃんが語る家康鎖国批判(副題:私は「その時歴史が動いた」を見た人の話を聞いた)と同等のレベルと思って読んで下さいね。


曹操陣営の誰かを取り上げることをたんばぱさんは期待されているみたいなんですけど、曹操陣営はスルーです。というか、ここは人材がいすぎて誰か一人を取り上げてというのがちょっと難しいので、全体の代表として曹操を取り上げざるを得ないということになります。それも有名なのでよしとしましょう。まぁ、演義で負けまくりのイメージのある将軍が実は正史では負け知らずって人もいるんですけど、曹仁とかですね。で、曹操の次の時代の将帥から、この人に軽く触れまして、今回で三国志の時代を終わります。この人ってのは司馬懿、字は仲達なんですけど、この人は「三国志演義」の中では、孔明にやられっぱなしの情けない役回りをやらされてるんですけど、将軍としては明らかに孔明より上です。結局、蜀軍を魏国内に入れてませんし、孔明の死後も、魏国北東部で半独立状態にあった公孫淵を急襲して一撃で滅ぼしています。これが歴史上でも類まれなほどのあざやかな速攻を決めてます。といっても、当時の蜀が国力からいって魏を倒せるとは思えないので、孔明の好敵手としての司馬懿も誇張されてる気がしますね。


さらに魏陣営から取り上げます。訒艾(とうがい)。蜀を滅ぼした人です。この人はもともとは文官なんですけど、農業大臣みたいなことをしてた人です。その知識をいかして屯田とかしながら、糧秣を確保して戦闘に臨みました。当時の蜀は国力も衰退してたんですけど、誰もが越えられないと思ってた険しい山中を越えて、蜀の盆地に現れて成都を奇襲した人です。蜀を足がかりに呉を攻める準備をしていましたが、専断の行為があり疑われて処刑されたようです。


続いて、杜預(とよ)という人です。一応三国志に登場するんですけど、普通孔明が死んで蜀が滅びた後の三国志は語られないので、知ってる人はマニアックです。光栄の三国志のゲームでこの人が登場する時代のシナリオを入れてるものがあって、誰がプレイするんだろう?と思ったことがあります。この人は学者でもあり、将軍でもあった人です。伝記には「弓馬に通じず」と書いてあるそうで、これが呂布なんかだと、「弓馬武芸に通ず」と書いてあるので、わざわざそんなことを特筆してるのですからよっぽど下手だったんでしょう。この人も訒艾のように元々は農地開発とか、洪水対策とかの政治分野でだんだんと出世した人です。出世した頃には蜀は滅んでるので、呉を倒せば天下統一という時期なんですけど、呉を倒すにはどうしたらいいかということを進言して、軍人としても用いられるようになりました。軍事に対する知識がものすごくて、軍事オタクみたいな人だったようで、武庫というあだ名がついてたようです。若いときに実戦経験はなく、中年になってから軍を率いたんですけど、戦えば必ず勝つといった感じで、しかも占領地でも、そこに住んでいる人々を安心させるような政治をして人心を安定させたので、占領地の住民からも慕われたと言うことです。そして当然のことながら軍律も厳しくて、略奪などは絶対に許さないし、そういう意味でも名将の名に値する人だったようです。また、占領地で農地が荒れていると水路を作ったりして農地を増やしたり、かなり面白い人だったみたいですね。主君からは学問ばかりしていて「お前はいったい何が楽しみなのだ?」とたずねられて「『春秋左氏伝』さえ読んでいれば幸福です」と答えたと言うエピソードがあります。


で、次回はたぶん三国時代が終わります。あと演義のせいで不当に汚名をかぶってる人にも触れるかも。三国志時代は、演義と正史で評価の違う人とかそういうのに焦点をしぼって紹介してみました。こっからは時に三国志時代の人を例に出したりしながら、余り有名じゃないけど面白そうな人を取り上げてみます。