南青山少女歌劇団

劇団創設は1993年だったかな。
「東の宝塚歌劇団を目指します」のご大層な題目をかかげての旗揚げでした。
年齢制限は11歳から18歳。(19歳になったら卒業)
明日のミュージカルスターを夢見る女の子からなる1期生による旗揚げ公演は成功を収め
歌劇団の方向性と根幹を作る。


半年後、2期生がオーディションにより選ばれる。
第2回公演より参加するが、2期生は端役やダンスアンサンブルをこなすのみ。
この後第3回公演、第4回公演と2期生が大きく抜擢されることはなく
この頃の1期と2期には溝があったようで
2期が1期と対等になるまではいろいろな軋轢やドラマがあったそうです。


劇団としての安定期に入り、劇場もパルテノン多摩日本青年館で行うようになりました。
この時期に3期生が入ってきます。
3期生は次に入ってくる4期生と並び、それまでのミュージカル少女という趣のあった1,2期生に比べ
アイドルチックな顔立ちをした見た目にきらびやかな子が入ってきました。
実力的に上回る1,2期に頭を抑えられる形になるので
3,4期になかなかチャンスは巡ってこないかに思えましたが
新たに新人公演という興行が行われ劇団内のスターが一気に増えました。
ここが劇団としての絶頂期だったと思います。


5期生が入ってきました。
3,4期に比べると華やかさにかけるメンバーでした。
このとき初期の劇団を支えた1,2期の功労者が劇団を卒業しました。
ユニットとして動いていた3グループのうち、2グループがメンバーの卒業と同時になくなりました。
しかしすでに次世代のスターがいたこともあり、5期生にはチャンスが巡ってきませんでした。
まだ、劇団内の地位が確立しないうちに6期生が入ってきました。
5.6期のメンバーは、明確な舞台にかける夢があったわけではなく
お客さんとして劇団を見ていた子が多く、入るのが夢だったとか合格後の抱負も
卒業まで劇団にいるという返答があったりし、なんとなく小粒になってしまった感がいなめませんでした。


1,2期の年少組と3.4期の主力組が相次いで卒業しました。
ファン評は華のあるメンバーも実力のあるメンバーもいなくなってしまったというものでした。
しかし、一度原点に戻って新しい歌劇団を作ったのが5期と6期でした。
ただしその主役にはなりませんでした。
7期に救世主というべき女の子が入り、
抜群の演技力と歌唱力でいきなり主役に抜擢されました。
また、その後8期に華のある子が入り、5,6,7,8期の4人のエースを中心に
5,6期の個性あるメンバーがそれを支えるという新しい形になりました。


歌劇団としての新しい形が出来上がり、これが9、10期と続いていくことを願いましたが
劇団事務所の方向転換でそうはなりませんでした。
9期の募集は行われず、代わりにNansho-Kidsなる小学生のグループが結成されました。
歌劇団は2001年夏に当時のファンに惜しまれつつ解散公演を打ちました。


どっかで聞いたような展開が多いっすね・・・。
と、今日は娘。とは基本的に関係のない話を書いてみました。
私が娘。の卒業に耐性があるのはここのファンやってたからかなぁ。
ちょっと昔に想いをはせてみました。